自然界は、「黙して語らない」世界。
でも、いつもサインだけは出ている。
樹木の一生枠は1000年もの時間がかかるけれども、少しずつすこしずつ変化をしているからだ。
人間は平均寿命が85歳などと言って喜んでいるが、樹木からみればほんとうに小さな時間枠に生きている動物にすぎない。
人間時間と自然時間は単位が全然ちがう、からである。
そんな自然の仕組みと、そこに住まわせてもらっている人間の姿を、「生き物たちから学びたい」。
フクロウは、森の哲学者。
ボクはフクロウから森の仕組みを教わった。
樹洞ができるまでには50年以上の時間がかかる。
そこに巣づくりをするフクロウは、100年以上もの時間をかけて世代交代をしながら樹洞を使い続けから不思議さを通りこしている。
この木の穴も、気の遠くなるような自然のドラマの果てにできあがり、そこを利用しているフクロウがいた。
夜間行動するフクロウは、人間には想像のできないほど感度のいい耳をもっている。
その耳で、ノネズミなどが出す超音波を聞き分けながら森で日々を生きているのだから、まさにフクロウには地球が大家さん。
こんな手づくり小屋に、年間200日間も泊まりこんでボクはフクロウと会話をした。
オンボロ小屋でも、内部は超ハイテク装置であふれていることは秘密。
フクロウを呼ぶためのスタジオ。
樹洞で子育てをするシジュウカラだが、ヒナのために動物たちの毛を毛布に使う。
この毛は、野生動物たちが冬毛を春になれば脱ぎ捨てたもの。シジュウカラは、それらを拾ってリサイクルしているのだから自然界には無駄がない。
シジュウカラのこの巣には、シカの毛がたくさん入っていた。
この毛を見るだけで、ニホンジカの分布域まで分かってしまうから、これも自然界からのひとつのサインといえよう。
アマガエルの死体を見つけたアリたちは、わずか数時間でアマガエルを土中に埋めてしった。
これは、アマガエルという獲物をほかの生物にさらわれないようにしてから、土中でゆっくり解体して餌にするからだ。
カラスの巣には、化学繊維の綿からビニール紐、天然素材がふんだんに使われている。
そして、殺菌効果のあるヒノキやスギの皮が必ず入れられているのは、巣内を衛生的にするためのもの。
ノネズミの巣穴を見つけた。出入りを確認するために、小枝を穴の入口に立てかけてみた。
小枝の乱れぐあいで、巣穴の主の動きがわかるから観察にはとても大切な実験。こうしたちょっとしたアイデアで自然は身近なものとなってくるから、おもしろい。
沖縄の島で、サワラの頭を見つけた。頭にはたくさんのハエがやってきていた。
ハエは、ここに卵を産んで、幼虫にサワラの頭を食わせてしまう計画だ。ハエはスカベンジャーなので、腐りかけた獲物を食べて環境のクリーニング係りをしていると考えていいだろう。
人間も含めて動物たちは、妊娠期間とおなじ時間で死ねば大地に還っていく。
タヌキならば、ほぼ60日間で自然界がなめらかに埋葬してくれる。これは、たった4日目にして、数万匹のウジに食べられているタヌキの死体。
シデムシは、「埋葬虫」と書く。字が示すとおり、この虫は死体にしかあつまらない。
生物には誕生の数と死の数が同じだけプログラムされているから、このシデムシも生物の死を前提とした生き物として地球に生きることを登録されているのである。
ニホンカモシカの骨も、林内ではノネズミたちの貴重なカルシウム。
動物の死は、森のあらゆる生物の生に役立っているから、こうしてノネズミの小さな歯形をみると元気づけられるものだ。
ニホンジカの死体があったことで、このキツネは厳冬期なのに生命を伸ばすことができた。
自然の生物界には、ときにはこのタヌキのようにアルビノも誕生してくるのが不思議。
人間社会のための河川工事も、そこに生きる野生動物たちには生活領域を大きく変えてしまうことも少なくない。
純白となった冬毛のオコジョは文句なく可愛いが、これでいて獰猛な肉食獣であることを忘れてはならない。
イノシシの赤ん坊には縞ウリのような縞模様があるが、これを「ウリ坊」と呼ぶ。
可愛らしい赤ちゃんだが、農家にとっては農作物を荒らす憎き天敵の子供。
冬毛となったテンが軽やかに夜の森をジャンプしていった。このような姿を目撃している現代人はきわめて少ないことでだろう。
テンは想像以上に数の多い動物だから、ちょっとその気になって近所の森を観察すれば存在が確認できるものだ。